日本の医療保険制度の歴史を解説!国民皆保険制度や医療保険制度改革法も解説

日本の医療保険の歴史は、戦前の軍事力確保のために始まりましたが、現在は労働者を含めた国民全員の医療保障のための制度として医療保険が活用されています。今回、日本の国民医療保険制度や国民皆保険制度、さらに2015年に成立した医療保険制度改革法も解説します。

日本の国民医療保険制度の歴史。国民皆保険制度や医療保険制度改革法も解説


今この記事をご覧のあなたは、日本における医療保険の歴史について興味をお持ちかもしれません。


私達が安心して生活を送るために、国が定めた医療保険はなくてはならない制度です。


この制度によって、私達は本来支払わなければならない医療費を大幅に免除してもらえるからです。


しかし、この制度が私達国民にとって当たり前になってしまった今日、どのような歴史をたどって、今のような制度になったのか、という点を知っている方は多くおられないでしょう。


そこで今回は、

  • 日本の医療制度の『元』となったのは?
  • 医療制度を導入せざるを得なくなった背景にはどのような出来事が?
  • 『国民皆保険』へと推移していったいきさつとは?
これらの点を主に取り上げていきます。

この記事を読んでいただけると、さらに今現在の医療保険制度について理解が深まるでしょう。

ぜひ最後までご覧ください。

日本の国民医療保険制度の歴史を年表で振り返る

現在ではほぼ全ての方が健康保険などに加入し、医療費を大幅に免除してもらうことで、適切な医療を受けることができています。


しかし、以前には健康保険などの制度自体も無く、高額な医療費は自己負担となるため、適切な治療を受けられない方たちも多くいました。


国民医療保険制度の歴史を振り返ってみたいと思います。以下の表をご覧ください。

年数内容
1922年(旧)健康保険法
1938年(旧)国民健康保険法
1958年国民健康保険法の制定
1961年国民皆保険の実現
1973年70歳以上医療費無料
1983年老人保健法の施行
1984年職域保険自己負担1割
1997年職域保険自己負担2割
2003年職域保険自己負担3割
2008年後期高齢者医療制度開始
2015年医療保険制度改革法の成立
2018年財政運営が都道府県単位に変更
以上のように、1961年(昭和36年)以降には全ての人が国の医療保険へ加入することになりました。このように加入が義務化されたため、全ての人が医療を受けやすい国となって行ったのです。


その後自己負担割合が変化しながら、現在の形になったのです。

日本の国民医療保険制度の歴史:戦前

日本国民のすべてが健康保険など国の医療保険制度への加入を行ったのは戦後しばらくしてからになり、それ以前は国の医療保険制度への加入は任意のものでした。


1920年以前では、民間企業には民間共済組合が、公務員には官業共済組合が医療保険を提供しているだけでした。


1922年になると健康保険法が制定されましたが、10人以上の従業員がいる会社に健康保険に加入する義務がある、という程度で、まだ全員が加入しているものではありませんでした。


しかし、軍事的労働力を確保するため、1934年には5人以上の授業員がいる会社まで拡大していき、徐々に国の医療保険への加入が一般的なものとなっていきます。

日本の医療保険はドイツを参考にして作られた

実は、日本の医療保険制度は、完全なゼロの状態からつくられたものではありません。

医療保険創設の歴史には、この制度の『元』となる国とその国が行っていた制度がありました。

日本の医療保険は当初、ドイツの社会保険を参考にして作られた、とされており、ドイツは世界でも最も早く医療保険制度を充実させた、と言われているのです。

ちなみに、ドイツの疾病保険(1883年)は、宰相(日本では首相に当たる人)ビスマルクが行った『アメとムチ』政策の一環として創設されました。


ビスマルクが最終的に目指した政策は達成されず早くして終わってしまったものの、医療保険法を含む政策自体は、日本を含め多くの国に影響を与えた、とされています。


では具体的に、どのような政策だったのでしょうか。

世界初ドイツの社会保険制度とは

では、もう少しその『元』となったドイツの保険制度について掘り下げていきましょう。

世界初となるドイツの社会保険制度は、
  1. 疾病保険(1883年)
  2. 労災保険(1884年)
  3. 年金保険(1889年)
から成り立っていました。

これが、現代における医療保険制度のモデルケースとなります。

社会保険の歴史は、ビスマルクによって創設された疾病保険(1883年)が始まりとされています。


これには資本主義の重要な要素である「労働力の確保」を目的とする労働者保険としての機能を包含してはいたものの、現代の保険制度によく似た支給制度となっています。


というのもこの疾病保険は、まず各産業や職業別の労働者、事業者が横に連帯して共済組合を設立し、国から認められた共済組合が、一定の要件を満たしている人を医療保険に強制加入させる形をとっていました。

第一次大戦後の日本の状況

ヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦(1914~1918年)の影響により、日本では商品輸出が急増し、「大戦景気(大正バブル)」と呼ばれる空前の好景気が発生しました。

この時期には、工業生産が急激に増大し、重化学工業が発展しました。


また輸出量が非常に増え、各企業が得る利潤も膨れ上がりました。


しかし、経済的に良い状態は長くは続きません。


やがて戦争の終結により、商品輸出が激減し日本国内が不況となります。


その影響により工場閉鎖や、中小企業の倒産が相次ぎ、労働者にも賃下げや失業と言う形で悪影響が出ます。


また労働者が企業に抗議する労働争議が各地で多発し、政府は労働運動等の取り締まりに苦慮することになりました。


しかし、単に取り締まりを強化するだけでは国内の混乱は収まらず、資本主義経済を進展させることはできません。


そのため、政府は労使関係を改善させ、国内の混乱を収束させるために労働者の保護が重要だと考えました。


そこで、健康保険制度の創設に踏み切ることになりました。

1922年に健康保険法が制定された

日本の医療保険の歴史は、1922年(大正11年)の健康保険法の制定から始まります。

設立された健康保険法にはその名の通り『健康保険』に関する条項が盛り込まれており、


この健康保険制度の創設には、当時日本国内で起きていた労働問題がきっかけとなりました。

1922年に制定された健康保険法は、前述した経緯を踏まえ、工場等で働く作業労働者(ブルーカラー)が対象でした。

日本の特色としては、ドイツのように同業者組合が基盤となるのではなく、企業単体の中に設けられた組合が基盤となって医療保険が適用されることになりました。


その後、1939年には職員健康保険法が制定され、医療保険制度は企業等で働く事務労働者(ホワイトカラー)も対象とされました。


その後、1942年に職員健康保険法は健康保険法に統合されました。

会社に属していない農村に医療保険が届いていなかった

第二次世界大戦前の日本では、
  • 世界恐慌(1929年):世界各国の経済状況が急転直下で不況へと陥った一連の出来事
  • 農業恐慌(1931年):大規模で長期に渡る自然災害により農業の経済が破綻した出来事
主にこれら歴史的出来事が要因で、農村部の生活は非常に困窮を極めました。


治療を受けたくても、そもそも農村地帯では医療機関が存在しなかったり、たとえあったとしても医療費が払えず、医者の診療を受けられなかったりする、という苦しい状況が続きました。


貧困のために食生活の困窮、衛生環境の悪化で病気にかかる者も多く、農民の体力は低下し、農村は荒廃していったのです。

国民健康保険法でより多くの人に医療保険を

そのように、農業恐慌によって、多くの人が『食』と『職』を失った時代。

実際のところ、農村部は食料の増産のみならず、軍隊の兵員の供給源となっていました。

ですから、政府は農村部の救済のために1933年から農村漁村の方々を対象とした医療保険制度の創設に向けて検討を始めました。

そして1938年、現行法となる国民健康保険法が制定され、農村漁村の方々への医療保険制度が開始されました。


医療保険制度は当初、市町村の区域ごとに設立される組合が運用することとし、組合の設立や、住民の加入は任意とされました。


この国民健康保険組合により給付を行う種類・範囲、支払う保険料は、各組合ごとに定められる仕組みとなりました。

国民医療保険制度・国民皆保険制度の歴史:戦後

当初は農村漁村民の防貧、生活環境の安定のために創設された国民健康保険ですが、この保険の運用内容も組合ごとに定められるなど、柔軟な制度でした。


しかし、その後の日本は激動の歴史を迎えます。戦局が激化したことによって、国保の本来の目的が変容されていきました。


起きた歴史上の出来事といえば、

  • 日中戦争(1937年):当時の大日本帝国及び中華民国における戦争
  • 太平洋戦争(1941年):第二次大戦中の、太平洋の全域、またその他の多くの国を含んだ戦争。

この2つが代表的な歴史的出来事です。


戦局は年々激化の一途をたどり、国民健康保険の目的は大きく変容されていきました。

どのように変容していったのでしょうか。


国民健康保険は、強力な軍隊を維持、育成、供給するための人口増加策および健兵健民政策を担う手段として利用されていくことになるのです。


戦争を有利に運ぶ国策として政府は、人口の増加、健康で強靭な軍隊の育成を推進するため、国民健康保険制度の普及を徹底するようになります。


国民皆保険という考え方は、歴史上ここから始まったとも言えます。


1942年には国民健康保険法が改正され、地方長官が必要と認めた場合には、国民健康保険組合の設立が強制されることになりました。


また、組合が設立された場合は、組合員として資格のある人も全て加入することが必要となりました。


1943年末には、国内の市町村の約95%で国民健康保険組合が設立され、加入者数も4000万人を超えました。

立ち行かなくなった国民健康保険

戦局が悪化したことで、国民健康保険法にも亀裂が生じました。

太平洋戦争の前半は、破竹の勢いで進撃をしていた日本軍でしたが、次第に米英軍の物量作戦、中国大陸での中国軍の反撃で苦境に立たされていきます。


戦局の悪化により、戦地に若者を大量に派遣したことで人員不足となり、米軍による本土空襲も開始されます。


空襲による被害や、疎開等により医療機関は閉鎖、物資不足により医薬品の欠乏も深刻化し、国民一人一人の健康に気を配る余裕は無くなっていきました。


こうして日本の歴史上、かつて経験したこのない未曽有の危機の中、国民健康保険は崩壊していきました。


戦時中の国民皆保険は、健兵健民政策が主眼とされ精強な軍隊を育成するための施策でした。


また、診療よりも保健婦による保健活動が中心であり、現在の健康保険と比べ、とても十分な仕組みであったとは言えません。


しかし、先人達が国民全員に医療を保障することを目指したその実績は、現在の国民皆保険制度の確立へつながっていくことになります。

GHQの指導により完成した国民皆保険

1948年には、国民健康保険法が改正されることとなったのですが、それは連合国軍総司令部(GHQ)の指導であったとされています。

この改正により、国民健康保険組合から、原則として市町村が国民健康保険の運用を担う事が決定されました。


国民健康保険を運営するかどうかは市町村の判断とされましたが、国民健康保険の運用を市町村が決めた場合は、住民も原則的に強制加入となりました。


運営を行う市町村が増えていくと、次第に医療施設は増加し、受診料の向上につながっていきました。


1955年には事務費の他、医療サービスにかかった費用に国税を投入することを法律で定め、一層、国民健康保険は普及していきました。


その後、1958年には低所得者でも十分な医療を受けられるようにするため、新しい国民健康保険法が成立します。


この法律では、国民健康保険の運営を市町村に義務化し、被用者保険に加入していない住民は、国民健康保険に強制加入することが定められました。


国民皆保険の体制は、そのようにして実現されたのです。

民間の医療保険の歴史も紹介

では、民間の医療保険はどの様な歴史なのでしょうか?


国の医療保険制度が発達してきているため、それほど必要があるようには思えませんが、民間の医療保険もしっかりと拡大してきていますよね。


現在では様々な商品がある民間医療保険ですが、歴史としては国の医療保険制度よりも長いのか気になるところです。ここでは、

  • 民間医療保険の歴史
  • 公的医療保険との違い

について詳しくご紹介したいと思います。

日本における民間医療保険の歴史

日本における民間医療保険は、1970年代に販売され始めましたが、当初は外国の生命保険会社にのみ販売を許可されていました。1974年にアメリカンファミリー生命保険(現アフラック)ががん保険を始めて日本で販売し始めたとされています。


その後、2001年に完全自由化となり、国内の保険会社からも続々と保険商品が販売されるようになりました。


民間の医療保険への加入はいまだに増加傾向にあり、特に最近では高齢化が進んできたことから、持病や既往歴がある場合にも加入できるという商品が増えてきました。


国内の医療保険の販売は2001年からとかなり最近の様な感じがしますが、年々進化してきているのが民間の医療保険の現状です。

公的医療保険と民間の医療保険の違い

国と民間の医療保険は何が違うのか、疑問に感じている方もいるかもしれません。


違いを簡単に表にすると以下のようになります。

公的医療保険民間医療保険
加入資格義務任意・条件有り
保険料所得に応じる年齢・内容により様々
給付方法窓口で自己負担額が軽減される申請して保険金を受け取る
一番大きな違いとしては加入の義務ではないでしょうか。

公的医療保険には加入が義務付けられていますが、民間医療保険は任意です。また、民間医療保険への加入の際には審査があり、条件を満たしていない場合は加入ができない仕組みになっています。


また、保険料も公的医療保険は所得によって決められており、民間医療保険は年齢や性別、保障内容によって様々なものがあります。


公的医療保険があっても入院・手術となった場合意外と多くの出費がかかってしまいます。それをカバーするための保険が民間医療保険となるのです。

まとめ:日本の医療保険制度の歴史について

ここまで、医療保険制度の成り立ちについてその歴史を振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか。


この記事のポイントとなる点は、

  • 日本の医療保険制度は、ドイツの社会保険制度が元となっている
  • 農業恐慌によって立ち行かなくなった農村部とその人々を救済するという目的もあり、医療保険制度は導入された
  • 市町村が主体となる国民健康保険法の改正により、国民皆保険が実現されていった

これらの点です。


今回挙げたような歴史をたどりながら、現代では収入にかかわらず私達が十分な医療行為を受けるために必要不可欠となった、医療保険制度が「当たり前」のものとなっています。


これからの時代、この制度がどのようにして変わっていくかは、まだ誰にもわかりません。


今のこの制度が、将来的な新しい制度における歴史の一ページとなっている可能性もあります。


だからこそ、免除された医療費で医療行為を受けられるようになったいきさつを知っておくなら、さらに医療保険に関しての知識や理解を深められるでしょう。



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この記事の監修者
谷川 昌平
東京大学の経済学部で金融を学び、その知見を生かし世の中の情報の非対称性をなくすべく、学生時代に株式会社Wizleapを創業。保険*テックのインシュアテックの領域で様々な保険や金融サービスを世に生み出す一歩として、「マネーキャリア」を運営。2019年にファイナンシャルプランナー取得。

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